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第3話 五日目の研究室

Auteur: 春野ケイ
last update Date de publication: 2026-10-21 16:19:13

魔術院に通い始めて、五日が経った。

一日目は、熱を下げる薬草茶を持っていった。ルカは「熱はないよ」と言いながら、二杯飲んだ。

二日目は、床に積もった羊皮紙を少し片付けた。ルカが青い顔で「それは順番があるんだ」と止めに来たので、元に戻した。どこにあったか覚えていたので、怒られずに済んだ。

三日目は、お昼を持っていった。ルカは朝から何も食べていなかった。

四日目は、雨だった。それでも行った。

そして五日目の今日、扉を開けると、机の横に椅子がひとつ置いてあった。

昨日までは本の山に埋もれていたはずの椅子だ。座面には、埃ひとつない。

「ルカ、椅子が出てきたわ」

「……出てきたね」

ルカは羊皮紙から目を上げないまま、ペン先で椅子を指した。座っていい、という意味らしい。

腰を下ろしてから、私は感心して部屋を見回した。床の羊皮紙も、心なしか減っている気がする。

「片付けたの?」

「たまたまだよ」

「ルカも几帳面になったのね」

「…………」

返事がなかったので、たぶん照れているのだと思う。昔から、褒められるのが苦手な人だった。

今日の籠の中身は、胡桃のパンと、鶏肉と根菜の煮込みだ。煮込みは瓶に詰めて、冷めないように布で何重にも巻いてきた。

「お昼にしましょう」

「あと少しで計算が終わるから」

「昨日もそう言って、結局夕方まで召し上がらなかったでしょう」

ルカはペンを持ったまま固まり、それから諦めたように机の上に場所を空けた。

煮込みをひと口食べたルカが、小さく目を見開く。

「……これ、君が?」

「料理長に教わって、少しだけ。お口に合う?」

「うん」

ルカはそれきり黙って、あっという間に瓶を空にした。黙って食べるのは、おいしいときのルカの癖だ。これも、昔と変わらない。

お皿を片付けていると、扉の外から小さな話し声が聞こえてきた。

「今日もいらしてるぞ」

「ノーラン様が昼休みを取ってる……」

「信じられない。あの人、先月は三日寝ずに結界の論文書いてたんだぞ」

ルカの同僚の魔術師たちだ。ここ数日、廊下ですれ違うたびに、なぜか拝むような目で見られる。

「皆さん、親切ね。昨日はお花を分けてくださった方もいたのよ」

「……あいつら、あとで仕事を倍にしておく」

「どうして?」

「何でもない」

ルカはこめかみを押さえて、溜め息をついた。

そのとき、窓辺に浮かんでいた青い石のひとつが、ぱちりと音を立てて床に落ちた。

ルカが息を詰める。石を拾い上げる指先が、かすかに震えていた。

「ルカ?」

「大丈夫。魔力の流れが少し乱れただけだから」

「本当に? また顔色が悪いわ」

思わず立ち上がって、彼の額に手を当てた。昔、熱を出したルカによくそうしていたように。

ひやりと冷たい。熱はないみたいだ。

けれどルカは、まるで石になったように動かなくなった。

「……エレナ」

「熱はないみたい。よかった」

手を離すと、ルカはなぜか深く俯いて、しばらく顔を上げなかった。

「実は、明後日の午後に、魔力の調整を受けることになってる」

帰り支度をしている私に、ルカがぽつりと言った。

「調整?」

「溜まりすぎた魔力を、外から抜いてもらうんだ。子どもの頃にも何度かやった」

覚えている。調整を受けた日のルカは、いつもぐったりして、夜まで起き上がれなかった。私はその隣で、絵本を読んであげたのだ。

「つらいのよね、あれ」

「少しね。でも半日寝ていれば治るから、心配いらない」

「付き添うわ」

「いや、それは」

「付き添うわ」

ルカは口を開きかけて、また閉じた。この五日間で、何度か見た顔だった。

屋敷に戻ると、居間でお父様が封筒を手に待っていた。

王家の封蝋が押してある。

「明後日、マルグリット公爵夫人の茶会があるそうだ。殿下がお前をエスコートなさると」

「明後日、ですか」

「ああ。午後からだ」

お父様は封筒を私に渡しながら、少しだけ眉をひそめた。

「最近、殿下はお前との約束を守っておられないと聞いたが」

「シア様のお加減が悪かったのです。仕方ありませんわ」

「……そうか」

自分の部屋に戻って、私は封筒を手に窓辺に立った。

明後日の午後。公爵夫人の茶会と、ルカの魔力調整。

重なってしまった。

けれど、迷うことはないのだと気づいて、私はほっと胸を撫で下ろした。

どちらを優先すべきかは、もう殿下が教えてくださっている。

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